2008年 11月 27日
テレビをみる日 総括 |
つい先日の07年11月1日(土)。大阪市西区安治川2丁目にあるスペース「FLOAT」にて、その日に放送されるテレビ番組を、放送開始時~終了時まですべて見るというイベントを開催しました。普段、ゆるやかに気が向いたらコンビを組んでいる(「コサキン」みたいなもんだと勝手に思っていますが)相方の音楽家 米子匡司くんととともに企画。2人以外にも、大阪在住のアーティストや古本屋やレコード屋店主など5人のゲストも交えながら、いちいちテレビに対してマイクをつかって突っ込みをし、その全体の様子をインターネットで動画ストリーム配信しました。
正直、ただの思いつきと勢いでやりましたし、テレビのコンテンツをそのままほぼ同時にネットにあげてしまっていることに関しては、やや法律もいじってしまってますので、非難を受ける事は覚悟の上での開催でしたが。
しかし、テレビはある意味、面白いですね。
まずこんなにテレビを丸一日みることなど、どれくらいぶりでしょうか?(むしろ、初めてかもしれません。)テレビを持っていない米子くんは「何年ぶりかにテレビを見たけど、ほとんど何も変わってないね」と言っていました。確かに、「誰これ!?」って感じの人はたくさん出てるのですが、「相変わらずこの人はこのポジションで出演しているのか」とか「相変わらず読売の番組編成って、昼にサスペンスの再放送を入れるのね」とか「うわ!まだ『めちゃイケ』ってやってるのね」とか…。
まぁそういう具体的なこともそうなんですが、おそらく僕が勝手に妄想したのは、「僕らはテレビを見ていなくても、日常的に“テレビ的”な世界を見ている」ということでした。「世の中の多くは(マス)メディアによってデザインされている」という考えから来た妄想ですが、結局、日常生活における人々の会話や、街にあふれている広告や音楽、それらの多くは(マス)メディアからの供給物だと思います。それらは、社会に生きる僕たちの五感に、否応なく働きかけてくるものなので、僕らは無意識のうちにそれらを受容してしまっているのでしょう。(あわせて発信もしてしまっているかもしれません。)そう、考えると、米子くんの言っていた「テレビは何も変わっていない」という発言は、具体的な番組編成やコンテンツの話を例に出さずとも、そんなもんなんだということにはならないでしょうか。もちろんコンテンツの作り方等は、細かくは色々と変わってきてるところがあると思ってます。それはここで語らずとも、皆さんがテレビを見たときに「昔ってこんなにテロップ入ってたっけ!?」とか「CM間の繋ぎ、いらねぇよ~」とか、そんなことも含めた、諸々です。
テレビは「言葉の最果て」なのだと思います。
あらゆる物事が曖昧な境界から脱したときに勝ち取る意味は、やがて言葉となって流通し、そして最後は電波に乗って僕たちのお茶の間に到着します。世界はもっと曖昧なものなのかもしれないけど、それが電波にのれば、世界がすべて言葉で語れるようになるのか。ってことはそれを受け取って「世界はこうだ!」を感じとる人が多数いるわけで…。そういう意味では、「世界が先か、テレビが先か」…わからなくなってしまうのです。
さてさて… このプロジェクト。今後、どんな風に展開しましょうか。第2回目以降にゲストとして出演したい方、募集いたします。
by yamatogawarecord
| 2008-11-27 20:34