2009年 01月 26日
淡路島の景色の分かれ目のグラデーションの |
ひと、との出会いや、ほん、との出会い、けしきとの出会いにグルグルバスバス編集される日々を過ごし、ちょっととりあえず、今日から改ページな感じでございます。(エクセルで「改ページプレビューへようこそ!」って言われるけど、「ようこそ!」って言われてもなぁという話を昔高校ん時の友人と話したことがあります。)
仕事はたまるわ、書きたいことはたまるわ。とりあえずツラツラいっこいっこ棚卸ししていきますわ。
先日1/16晩〜1/18朝まで淡路島におりました。
おそらく今年の夏は、淡路島アートセンターが主催する淡路アートフェスティバルにて、なんらかの形で恊働したり、作品を発表すると思います。(例年の活動やフェスの情報はリンク先でご覧くださいね。)そのためもあって、現地の方に二日間みっちりとアテンドをしていただき、洲本〜南淡路〜由良〜沼島等を楽しみました。(メンバーの久保さん、田久保さんにこの場を借りて感謝の意を。本当にどこまでもご親切にありがとうございます。この借りは次回滞在時に必ず(!?)返しますよって。)
商店街や宿舎街、アートスポットとともに、謎のパラダイスなる、とんでもスポットまで。(探偵内とスクープに取り上げられるほど割と有名な秘宝館があるのですが、正直、かなり「笑えない」感じの空気が展示会場からもそこで呼び込みをいている館長らしきおっちゃんからも漂ってて、なんだかメンバー全員気分が萎えてしまいました…。具体的にはですね… ←やめときます。省略します。)
ええっと。仕切り直すに、まず、"生活"と"表現"の距離が非常に近しいと感じました。でも同時に表現というものが生活に完全に埋め込まれている伝統的な何かという感じもしない。この不思議な感じは、淡路島の地域性がもちろん絡んでくるんだけど、なんやろ?要は、完全な「島」ではなく完全なる「農村」ではない、えー、いやぁ、沼島とかまでいくとまた違う印象を受けたのですが、なかなか、一言で言えない独特な要素が絡み合っているまちだと感じました。洲本などの一部では、いわゆる郊外都市的な景色が結構広がっていて、おそらく、伝統的な淡路島の島的、村的なコミュニティの中に青年時代は生活してきた住民は、就職や結婚を期に、都市に出て行くというごく全国的に起きている状況が、淡路島内部でも同時にそれは起こっていて、郊外都市的な景色と、ちょっと車を走らせればほんとに島村的な景色が広がって、その島村の記憶と生活の知恵を携えた世代が、都市に流入し、新たな都市的エッセンスの遊び方や表現感覚を手に入れたのちに、また島にUターンしてきて(それがわりとしやすいのも、淡路島が兵庫県という都市的要素の多い県に属しているという地理的条件も関係してんねんやろうなー)、そこで現代アート!?、いわゆるファインな意味ではなく、ほんとうに同時代で都市的な意味でのアートの手法が、島にて試されて…。だから「もともと伝統的な島村コミュニティが強固である」ことと、「ものすごい辺境の島ではないぶん、都市的要素が数年置きのサイクルでしっかり流入してくる」ことが結果として"生活"と"表現"の位置の近さ(あくまで"近い"のであって、完全に重なったり一緒になったりしはしない)から、さらなる触発が産まれてそこがまた新たな表現となって、島内だけでなく、島外にも流通していく(実際、淡路島では、2007年にアートNPOフォーラムが開催されており、淡路島の先駆的表現事例が、おそらく全国に共有されたはず!?)ことになったりして、例えば、ほんとに都市である大阪で、農とアートをつなぐ動きをやったらどうなるやろうとか、色々考えることになるわけです。
(とりあえずこの文章でしきりに"表現"とか言ってしまっている部分は、とりあえずすごい主観的解釈がまじっていて、いわゆる伝統的な祭りなどは、いったんそういうものとして整理して、"同時代的でアート的要素の強い表現"って意味で使ってます。「なにもかも表現だ〜!」と言ってしまえば、たしかにそれはそういうもんですからね。ああぁ、どこまでも言葉は難しいし、"定"義ってできんなぁ。)
いや、相変わらず、ほんまにいつもまとまりもせん内容をツラツラ書いてますが、自分の感覚がどう触発され、そこにいる方々とどう恊創できるのかってことを、グルグル考えて楽しくなってきました。
みたことのない けしき がみえたらいいなぁ。
仕事はたまるわ、書きたいことはたまるわ。とりあえずツラツラいっこいっこ棚卸ししていきますわ。
先日1/16晩〜1/18朝まで淡路島におりました。
おそらく今年の夏は、淡路島アートセンターが主催する淡路アートフェスティバルにて、なんらかの形で恊働したり、作品を発表すると思います。(例年の活動やフェスの情報はリンク先でご覧くださいね。)そのためもあって、現地の方に二日間みっちりとアテンドをしていただき、洲本〜南淡路〜由良〜沼島等を楽しみました。(メンバーの久保さん、田久保さんにこの場を借りて感謝の意を。本当にどこまでもご親切にありがとうございます。この借りは次回滞在時に必ず(!?)返しますよって。)
商店街や宿舎街、アートスポットとともに、謎のパラダイスなる、とんでもスポットまで。(探偵内とスクープに取り上げられるほど割と有名な秘宝館があるのですが、正直、かなり「笑えない」感じの空気が展示会場からもそこで呼び込みをいている館長らしきおっちゃんからも漂ってて、なんだかメンバー全員気分が萎えてしまいました…。具体的にはですね… ←やめときます。省略します。)
ええっと。仕切り直すに、まず、"生活"と"表現"の距離が非常に近しいと感じました。でも同時に表現というものが生活に完全に埋め込まれている伝統的な何かという感じもしない。この不思議な感じは、淡路島の地域性がもちろん絡んでくるんだけど、なんやろ?要は、完全な「島」ではなく完全なる「農村」ではない、えー、いやぁ、沼島とかまでいくとまた違う印象を受けたのですが、なかなか、一言で言えない独特な要素が絡み合っているまちだと感じました。洲本などの一部では、いわゆる郊外都市的な景色が結構広がっていて、おそらく、伝統的な淡路島の島的、村的なコミュニティの中に青年時代は生活してきた住民は、就職や結婚を期に、都市に出て行くというごく全国的に起きている状況が、淡路島内部でも同時にそれは起こっていて、郊外都市的な景色と、ちょっと車を走らせればほんとに島村的な景色が広がって、その島村の記憶と生活の知恵を携えた世代が、都市に流入し、新たな都市的エッセンスの遊び方や表現感覚を手に入れたのちに、また島にUターンしてきて(それがわりとしやすいのも、淡路島が兵庫県という都市的要素の多い県に属しているという地理的条件も関係してんねんやろうなー)、そこで現代アート!?、いわゆるファインな意味ではなく、ほんとうに同時代で都市的な意味でのアートの手法が、島にて試されて…。だから「もともと伝統的な島村コミュニティが強固である」ことと、「ものすごい辺境の島ではないぶん、都市的要素が数年置きのサイクルでしっかり流入してくる」ことが結果として"生活"と"表現"の位置の近さ(あくまで"近い"のであって、完全に重なったり一緒になったりしはしない)から、さらなる触発が産まれてそこがまた新たな表現となって、島内だけでなく、島外にも流通していく(実際、淡路島では、2007年にアートNPOフォーラムが開催されており、淡路島の先駆的表現事例が、おそらく全国に共有されたはず!?)ことになったりして、例えば、ほんとに都市である大阪で、農とアートをつなぐ動きをやったらどうなるやろうとか、色々考えることになるわけです。
(とりあえずこの文章でしきりに"表現"とか言ってしまっている部分は、とりあえずすごい主観的解釈がまじっていて、いわゆる伝統的な祭りなどは、いったんそういうものとして整理して、"同時代的でアート的要素の強い表現"って意味で使ってます。「なにもかも表現だ〜!」と言ってしまえば、たしかにそれはそういうもんですからね。ああぁ、どこまでも言葉は難しいし、"定"義ってできんなぁ。)
いや、相変わらず、ほんまにいつもまとまりもせん内容をツラツラ書いてますが、自分の感覚がどう触発され、そこにいる方々とどう恊創できるのかってことを、グルグル考えて楽しくなってきました。
みたことのない けしき がみえたらいいなぁ。
by yamatogawarecord
| 2009-01-26 17:32