今年の頭、岸井大輔さんたちが作られた『戯曲 東京の条件』(東京文化発信プロジェクト室)にて寄稿させていただいた文章『リサイクル・音楽 ~はい。私が「DJ 話芸」の家元です。〜アサダワタル』なぜか、
書籍の袋とじの中面に印刷されて目次にも掲載されないという文化政策的にもなかばあるまじき「黙殺」を食らいましたので、ここで勝手ながら転載し、ご高覧に供したいと思います。ほとんどの方が読まれるのが初めてのことと思いますので、どうぞこれからも「DJ話芸」の普及・啓発活動にご尽力くださいますよう、何卒よろしくお願いいたします。(最下部には実演ビデオもありますのでどうぞ。)
リサイクル・音楽 ~はい。私が「DJ 話芸」の家元です。〜
アサダワタル
音楽に限らず文化というものは、共有財産として皆が自由に使える形で常に身の回りにあってこそ発展するという面をもつ。
「保護」して勝手に使わせないようにするだけでは文化は育たない。それらを共有財産として皆で分かち合い、余すことなく使い回すための公共の場が確保されていることは、文化を生み出す土壌には不可欠なのである。
渡辺裕『考える耳〜記憶の場、批評の眼』
【この部屋の猫の名はエリー】
ここに二匹の猫がいる。
一匹は神戸の山の手の交番で拾われ、もう一匹は大阪の淀川沿いの駐車場にて拾われた。
♫(イントロ十六秒)
駐車場の猫は アクビをしながら 今日も一日を過ごしてゆく
そう、その二匹目の猫を歌った曲がこの歌 (ゆず「夏色」 作詞・作曲=北川悠仁 |1998)。そして駐車場で拾われた猫は、そのまま楽園へと連れて行かれる。
♫
メンソールの煙草を持って 小さな荷物で 楽園に行こう 楽園に行こう 大きな船で(中略)ひとりきりもいいだろう ふたりだけもいいだろう 猫も連れて行こう!
そう、The Yellow Monkeyによって「楽園」(THE YELLOW MONKEY 作詞・作曲=吉井和哉|1996)に連れて行かれたこの子はやがて、
♫
二人はまるで 捨て猫みたい
そう、なんと捨てられてしまった。しかもここでもう一匹の子も登場。
♫
この部屋は 落ち葉に埋もれた空き箱みたい
だからおまえは子猫の様な泣き声で
この子らはそもそも子猫だったことも判明。やっぱ尾崎(「I love you」 作詞・作曲=尾崎豊 |1991)はすげぇ…。
それで、どうやって泣くんだったっけか。
♫(エコー全快で)
ふぅ〜 うぅ〜 うぅ〜
そう言えば、僕が飼っている猫も、淋しそうな時、そんな泣き声をあげているなぁ…。
♫
きしむベッドの上で 優しさを持ちより きつく躰 抱きしめあえば
この猫たちはベッドの上にいる。
ところで、この「ベッド」がある「落ち葉に埋もれた空き箱みたい」な部屋ってどこ?
♫
誰も知らない 夜明けが明けた時
(中略)
ホテルはリバーサイド 川沿いリバーサイド
(中略)
ベッドの中で魚になったあと
そう、陽水(「リバーサイドホテル」 作詞・作曲=井上陽水|1982)が歌ったあの川沿いのホテルだ。
そこの「ベッド」で、猫たちなのにも関わらずなんと「魚」のように情事を交わす…。
さて、窓から「川」が見えるであろうこの部屋の間取りについてもここで少し確認しておこう。
まず、「ベッド」があって…
そしてきっと机はあるだろう。
その机はかなり年季の入った傷だらけの机だ。
♫
ちっちゃな頃から 悪ガキで十五で不良と呼ばれたよ
のあの曲(チェッカーズ「ギザギザハートの子守唄」 作詞=康珍化 作曲=芹澤廣明|1983)の三番のこの歌詞。
♫
熱い心をしばられて 夢は机で削られて
そう、「ナイフみたいにとがっては触るものみな傷つけ」ていたあの若かりし頃のホテルのオーナーがずっと大事にしてきた「机」。
その「机」には、食べ物がのっている。
♫
ブーツでドアをドカーッとけって 「ルカーッ」と叫んでドカドカ行って
テーブルのピザ プラスモーチキン ビールでいっきに流しこみ
そう、「今夜はブギーバック」(小沢健二featuringスチャダラパー 作詞・作曲=光嶋誠、小沢健二、 松本洋介、松本真介 |1994)で歌われている「テーブル」の状況はまさにこのホテルのルームサービスの注文状況を表しているだろう。
そして、「机(テーブル)」と言えばセットにあるのは「椅子」だ。この椅子は机から離れた「窓辺」に置かれていることが、なんとこの名曲において説明されていたのだ。
♫(イントロ三十五秒)
窓辺に置いた椅子にもたれ
そう、荒井由美(松任谷由美)の「翳りゆく部屋」(作詞・作曲=荒井由美 |1976)の冒頭の歌詞。
普段は「川沿い」のこの「ホテルの部屋」で、猫たちはこの「窓辺」に置かれた「椅子」にもたれて、川の風景を眺めている。そして夜になると、「ベットの上で魚に」なるのだ。
しかし、この「椅子」。よくよくじっくり眺めるとかなりお洒落なイームズ製のものであることが判明する。どうも「机」とのバランスが悪いようだが、このホテルのオーナーに聞くと、「あの椅子は、実はその昔結婚前提で交際していた恋人にプレゼントしようとしていたが、渡すことができなかった思い出の椅子なんだ」と答える。
♫(イントロ三十六秒)
ゆっくりと十二月のあかりが灯りはじめ
慌ただしく踊る街を誰もが好きになる
僕は走り 閉店まぎわ 君の欲しかった椅子を買った
荷物抱え 電車のなか ひとりで幸せだった
B'zの「いつかのメリークリスマス」(作詞=稲葉浩志 作曲=松本孝弘|1992)にて、ホテルのオーナーによって買われたあの「椅子」(絶対、イームズだろう)は、いままさに「窓辺に置」かれている。
ちなみに「いつかのメリークリスマス」が発表された一九九二年は、
♫
一九九三(ナイティンナインスリ〜)
(Class「夏の日の一九九三」 作詞・作曲=松本一起、 佐藤健、 北村勝彦 |1993)
の
♫
ちょうど一年前
(THE 虎舞竜「ロード」 作詞・作曲=高橋ジョージ |1993)
なわけであり、この年は、森高千里が
♫
私がオバさんになっても(「私がオバさんになっても」 作詞=森高千里 作曲=斉藤英夫 |1992)と歌った年。
(当時、森高は二十三歳)
そして十年後には「おばさん」になる森高は三十三歳。
二〇〇二年のことだ。二〇〇二年の
♫
ちょうど一年前
(THE 虎舞竜「ロード」 作詞・作曲=高橋ジョージ |1993)
は二〇〇一年
この年は、バンドルの先駆け的な存在であるZONEが
♫
君と夏の終わり 将来の夢 大きな希望 忘れない
十年後の八月 また出会えるのを 信じて
(「secret base 〜君がくれたもの〜」 作詞・作曲=町田紀彦|2001)
そうか、二〇一一年八月がまさにZONEが「また出会えると信じて」再結成をした。
そんな「十年」を何度も何度も行ったり来たりする時代のイリュージョン感の中で、僕らは永遠に
♫
十年前の僕らは胸をいためて「いとしのエリー」なんて聴いてた
(小沢健二「愛し愛されて生きるのさ」 作詞・作曲=小沢健二 |1994)
をリフレンする。
そう、二〇一一年から「十年前」(二〇〇一年)、さらに「十年前」(一九九一年)、さらにさらに「十年前」(一九八一年)といったように。出生から一九八一年まで、猫たちにとってこのホテルで過ごした空白の二年間は誰の記憶からも消され、もはや猫の名前さえわからない。一九七九年に出生した猫。サザンオールスターズによって歌われたこの「いとしのエリー」(作詞・作曲=桑田佳祐 |1979)は、一連の猫の出生に関わる秘話を紐解く可能性が示唆されているのではないか…。
♫(イントロ十六秒)
泣かした事もある 冷たくしてもなお
よりそう気持ちがあればいいのさ
俺にしてみりゃ これで最後のLady
エリー My love so sweet
二人がもしもさめて 目をみりゃつれなくて
人に言えず思い出だけがつのれば
言葉につまるようじゃ恋は終わりね
エリー My love so sweet
笑ってもっとBaby むじゃきにOn my mind
映ってもっとBaby すてきにIn your sight
誘い涙の日が落ちる
エリー My love so sweet
エリー My love so sweet
これは、二〇一三年五月、アサダワタルによって創案された創作芸能「DJ 話芸」のデビュー作『この部屋の猫の名はエリー』のメモ書きである。DJ 話芸とは、既存の流行歌の歌詞から二次創作、N 次創作的に、サイドストーリーを制作し、その歌詞の部分は原曲通りの節をつけて歌い、歌詞と歌詞を繋いだ創作文脈の部分は地語りで繋ぎ、間に拍子なども入れながら調子を整え、披露する創作芸の一形態だ。二〇一三年七月に、僕はこの芸能の「家元」となり、後進の育成に努めること、そして、家元である僕が創作をする限りにおいては、生まれた瞬間から既に〈古典〉であるという宿命を抱えながら、芸の神髄を究める為に日々を送っている。
【事の次第】
数年前に、友人とカラオケに行った際に、女性の友人Aが沢田知可子の「会いたい」(作詞:沢ちひろ 、作曲:財津和夫 一九九〇)を歌った。主人公の女性の恋人を交通事故で失ってしまい、「今年も海へ行くって」、「いっぱい 映画も観るって」といった恋人同士の甘い約束が果せなくなり途方に暮れる。バブル期の日本を思い起こすヒットソングだ。
一方、その歌を歌った友人Aに呼応するかのごとく男性の友人BがThe 虎舞竜の「ロード」(作詞・作曲:高橋ジョージ 一九九三)を歌いあげた。「ちょうど一年前に この道を通った夜」の歌い出しで極めて有名なこの曲だが、後に第十三章まで地味に続いていたことはあまり知られてないだろう。まぁそれはいいとして、この曲は「会いたい」とは逆に、主人公の男性が恋人を同じく交通事故で失ってしまったそのことを、「何でもないような事が 幸せだった思う なんでもない夜の事 二度とは戻れない夜」と歌いあげる。
この時、僕の頭に一筋の妄想が降りてきた。「この主人公の二人がある時どこかで出会って、お互いの過去の辛い傷を嘗め合うかのように寄り添って生きていったらどんな物語が生まれたのだろう…」
家に帰ってほとんど使っていないCD-J で、この二曲を同時にかけてみた。するとちょうど一分二十二秒目に「あなた夢のように 死んでしまったの」という歌詞と「何でもないような事が 幸せだったと思う」という歌詞が重なる部分があった。「ここだ!」と思った。ここで彼らは〈出会う〉んだと。そして各々の曲にとって新しいサイドストーリーが始まるのだと、妙な確信を覚えた。
その時以来、僕は音楽の聴き方が変わってしまった。とりわけ日本の歌ものにおいては、歌詞が殊更に気になるようになった。もともと、ドラマーとして活動すると同時にソロで作詞も手がけている手前、歌詞というものに対するこだわりもそれなりにはある。しかし一曲の歌詞の完成度に関心があるというよりは、その歌詞の中のある言葉が急に立ち上がってきて、別の曲の歌詞のある言葉へと、ハイパーリンクのように飛ばされていく感覚が頻繁に起こるようになったのだ。故 立川談志師匠の言葉を恐れ多いながらも拝借するならば、これは僕なりの〈イリュージョン〉だと思っている。
現実には〈かけ離れている〉もの同士をイリュージョンでつないでいく。そのつなぎ方におもしろさを感じる了見が、第三者とぴったり合ったときの嬉しさ。〈何が可笑しいのか〉と聞かれても、具体的には説明ができない。
立川談志『談志 最後の落語論』
そう、「なんでそんな妄想が沸いて、なんでそことそこが繋がるの?」って他人に言われてもそんなことは説明できない。
例えば、反町はあの名曲のサビで唐突に「ポイズンッ!」(「POISON」 作詞:反町隆史 作曲:井上慎二郎 一九九八)と叫ぶ。「その〈毒〉は一体どこに盛られたの?」と僕はずっと気になってきた。でも決して、布袋が歌った「POISON」(作詞:森雪之丞 作曲:布袋寅泰 一九九五)とのイリュージョンは直接的すぎて起こらない。そうではなく、これはきっと平松愛里が「部屋とYシャツと私」(作詞・作曲:平松愛里 一九九二)において盛った「毒入りスープで 一緒に 行こう〜」の〈毒〉と繋がる方がよっぽど面白い。この了見は大事だ。つまり反町の〈ポイズン〉が市販されて、旦那を愛するあまりに淡々と巧妙に旦那を縛りつけていく「部屋Y」(略して)の主人公がある時、旦那の浮気を察知して、「知恵をしぼって」、毒入りスープを作るのだ。「言いたいことも言えないこんな世の中」に対する社会的な〈毒〉が、ごくごく私的な領域である家庭での結末に盛られる〈毒〉へと変化するそのアンバランスゆえの妙味。おわかりいただけるだろうか。
【創作秘伝の序】
さてさて現在、まずは上方を中心にこの芸能を広めるために、各地に「リサイクル・音楽」と題した秘伝の会、今風に言うとワークショップのようなものを開いている。弟子たちの中には、すでに、時事ネタ的な趣向も取り入れながら、尾崎豊の「十五の夜」(作詞・作曲:尾崎豊一九八三)と「十七歳の地図」(作詞・作曲:尾崎豊 一九八四)で描かれる十五〜十七歳の人物を、「十五、十六、十七と 私の人生暗かった」( 「圭子の夢は夜ひらく」 作詞:石坂まさを 作曲:曽根幸明 一九七〇)と藤圭子の〈夜〉が十八歳以降に〈開〉いて明るくなっていくイリュージョンを見事に描ききった(娘である宇多田ヒカルが十五歳でデビューしているという小ネタまで挟む強者ぶり)。こうなると、家元としてもこの芸能の未来を託すべき弟子たちの将来が楽しみでならない。しかし、無論誰もがすぐさま創れるわけではなく、また創ったあとの実演の完成度も含めれば、相当な修行が必要なことは言うまでもない。
そこで、本稿では紙幅の許す限り、その秘伝のごくごく序の一部を特別に披露し、誰もが自宅やカラオケボックスなどで、最低限の創作・実演ができる状況にまで仕立ててゆきたいと思う。諸君、「住み開き」もいいが、これからは「DJ 話芸」が日本の日常的な文化作法となることはもはや疑いようがないだろう。どうぞ、ご参照されたい。
■創作の基本
・歌いたい曲から入る
→まずはバシっと気になる一曲を最初に決めてしまうこと。その時に自分がカラオケなどでよく歌う好きな曲から入ると創作へのモチベーションへと繋がるだろう
・イリュージョンが起こりそうな創発性の高い歌詞やキーワードを探す
→例えば、場所(駅、喫茶店など)、乗り物(自転車、車、電車など)や生き物(猫、蝶など)、季節や自然を表す言葉(雪、風、水着など)
・ランダムに曲を数曲決めてしまい、そこから創発性を導く
→どうしても使用する曲が決まらないときは、ランダムに歌本などをめくりながら数曲を決めしまうのも手だ
■創作の条件
・自作の曲ではなく、既存の、かつ有名な曲を引用する
・節部分、語り部分の双方を入れる
・創発の軸となる歌詞、キーワードは、殊更に強調する
・物語性を感じさせる流れを意識する
■創作の秘訣
・十五分のパフォーマンスで約十曲くらい引用するのが望ましい
・できるだけ、かけ離れているもの同士を繋ぐ。しかし、まったく意味不明にするのではなく、曖昧模糊にすることが要点
・物語性を生み出すための、大きなテーマを意識する(例:「猫」「喫茶店」など)
・時代性、空間性の移動を意識する
・全体の物語の流れのダイジェストを、中間、あるいは最終段階で入れて、記憶の創発性を活用する
・ある歌詞のワンフレーズだけではその曲を判別しにくい(例えば二番の歌詞であるなど)場合は、あえて有名な歌詞の部分もダイジェスト的に引用しつつ、使いたい歌詞へと繋げる
・アップテンポ、ミディアムテンポ、バラードなどバラエティに富んだ選曲引用を心がける
以上