2008年 09月 24日
生活×アート 再考 |
二ヶ月程前に、大阪の應典院というお寺で、「生活の中にアートを取り戻す!」というテーマのシポジウムをコーディネートしました。
http://www.webarc.jp/2008/06/21154104.php
今更ですが、お越し頂いた方々には深くお礼を申し上げます。
たまたま、とある媒体でこのことの総括文を書く機会があって書かせていただいたのですが、なんだかかなり、見に来た人しかわからないような書き方になってしまって…、全面書き換えになってしまったので、お蔵入りになった文章をここで公開します。
企画概要は上記のリンクをご覧になってくださいね。雑文で短文だし、来られてない方にはいささか伝わりにくいところもあるでしょうけど、ご興味あればぜひ。
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『未分なアートの価値について』
生活の中に埋め込むアートの実践例
去る7月13日、恒例の「寺子屋トーク」の第53回として、「生活の中にアートを取り戻す!」というテーマのシポジウムを開催いたしました。
ゲストには横浜からアサヒビール芸術文化財団の加藤種男さんをお招きし、またパネラーとして、NPO法人DANCEBOXの大谷燠さん、財団法人たんぽぽの家の岡部太郎さん、そしてセックスワーカーとしてまた性感染症に関するライターとして活動するタミヤリョウコさんの3名の関西勢にご参加いただきました。
1部では、加藤種男さんの基調講演が開催されました。美術や演劇、音楽やダンスなどのいわゆる“アート”の話ではなく古の生活の知恵を様々な方面から紐解きながら、かつてアートは観賞されるのみの存在ではなく、生活を営むあらゆる行為の中に埋め込まれた創造的な技術として存在していることを力説されました。「かつて祭りは生活の一部で、観客はなく全員が参加者だった」という旨の話がもっとも説得力のあるお話でした。
2部では、大谷さんが新世界地域の盆踊りをアートNPOやダンサーたちとともに復活させた「ビッグ盆!」、岡部さんが企画されている子どもたちが自分の身の回りの風景を写真におさめ、ワークショップやインターネットを通じて幅広く共有するプロジェクト「世間遺産」、そして最後に、タミヤさんの自らの職経験を生かした性感染症予防啓発のためのメディア出版の事例が紹介されました。
“受容”と“批評”が成立する場について
このシンポジウムは企画時から、様々な問題提起を含んでいました。まず、一つ目。そもそも生活の中にアートを取り戻す必要があるのか、否か。そして二つ目、生活にアートを埋め込む実践例として、セックスワーカーであるタミヤさんの活動事例がなぜ含まれているのか。一つ目に関しては、まず現状を見たときに、生活からアートが完全に切り離されているかと言えば、一概にはそうとも言い切れず、考えようによっては“観賞する”という行為そのものも生活の一部として捉える事ができるのかもしれませんし、また、アートが生活から離れているからこそ既存の価値観を打ち破るオルタナティブな物差しとして成立するという考え方も当然受け入れられることだと思います。「世間遺産」ワークショップの事例で紹介された、「誰もがありのままに承認される」というお話からも考えるに、このシンポジウムで設定されているテーマそのものに対する様々な考えが承認され、そしてその考えの相違に基づく議論が交わされるべきだったのかもしれません。そういう意味では、大変、有意義な事例紹介の場にはなったかと思いますが、些か刺激的な展開に届かない内容となりました。
二つ目に関しては、所謂“アート”を直接的に扱わずに、しかしながら「ビック盆!」「世間遺産」も目指しているであろうコミュニカティブなプロセスを重視するその特性を十二分に孕んだタミヤさんの取り組みが、どのように受容され(もしくは受容されず)、また、どのような問題提起をしてくださるのか、そこが企画の狙いでありました。この狙いはある意味ではタミヤさんが壇上にあがっているというその事実で成立するものでもありましたが、しかしシンポジウムという形式が個々の具体的な事例を抽象化して進行してゆくものとなっているが故に、その言葉のやり取りの上では、彼女の存在がややすんなりと受容されすぎた感じもいたしました。
これらのことを総括し、今回のシンポジウムでは、生活の中に埋め込まれたアートの受容性とアートが持つオルタナティブな批評性との共存について改めて考えさせられるきっかけとなったのではないでしょうか?
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http://www.webarc.jp/2008/06/21154104.php
今更ですが、お越し頂いた方々には深くお礼を申し上げます。
たまたま、とある媒体でこのことの総括文を書く機会があって書かせていただいたのですが、なんだかかなり、見に来た人しかわからないような書き方になってしまって…、全面書き換えになってしまったので、お蔵入りになった文章をここで公開します。
企画概要は上記のリンクをご覧になってくださいね。雑文で短文だし、来られてない方にはいささか伝わりにくいところもあるでしょうけど、ご興味あればぜひ。
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『未分なアートの価値について』
生活の中に埋め込むアートの実践例
去る7月13日、恒例の「寺子屋トーク」の第53回として、「生活の中にアートを取り戻す!」というテーマのシポジウムを開催いたしました。
ゲストには横浜からアサヒビール芸術文化財団の加藤種男さんをお招きし、またパネラーとして、NPO法人DANCEBOXの大谷燠さん、財団法人たんぽぽの家の岡部太郎さん、そしてセックスワーカーとしてまた性感染症に関するライターとして活動するタミヤリョウコさんの3名の関西勢にご参加いただきました。
1部では、加藤種男さんの基調講演が開催されました。美術や演劇、音楽やダンスなどのいわゆる“アート”の話ではなく古の生活の知恵を様々な方面から紐解きながら、かつてアートは観賞されるのみの存在ではなく、生活を営むあらゆる行為の中に埋め込まれた創造的な技術として存在していることを力説されました。「かつて祭りは生活の一部で、観客はなく全員が参加者だった」という旨の話がもっとも説得力のあるお話でした。
2部では、大谷さんが新世界地域の盆踊りをアートNPOやダンサーたちとともに復活させた「ビッグ盆!」、岡部さんが企画されている子どもたちが自分の身の回りの風景を写真におさめ、ワークショップやインターネットを通じて幅広く共有するプロジェクト「世間遺産」、そして最後に、タミヤさんの自らの職経験を生かした性感染症予防啓発のためのメディア出版の事例が紹介されました。
“受容”と“批評”が成立する場について
このシンポジウムは企画時から、様々な問題提起を含んでいました。まず、一つ目。そもそも生活の中にアートを取り戻す必要があるのか、否か。そして二つ目、生活にアートを埋め込む実践例として、セックスワーカーであるタミヤさんの活動事例がなぜ含まれているのか。一つ目に関しては、まず現状を見たときに、生活からアートが完全に切り離されているかと言えば、一概にはそうとも言い切れず、考えようによっては“観賞する”という行為そのものも生活の一部として捉える事ができるのかもしれませんし、また、アートが生活から離れているからこそ既存の価値観を打ち破るオルタナティブな物差しとして成立するという考え方も当然受け入れられることだと思います。「世間遺産」ワークショップの事例で紹介された、「誰もがありのままに承認される」というお話からも考えるに、このシンポジウムで設定されているテーマそのものに対する様々な考えが承認され、そしてその考えの相違に基づく議論が交わされるべきだったのかもしれません。そういう意味では、大変、有意義な事例紹介の場にはなったかと思いますが、些か刺激的な展開に届かない内容となりました。
二つ目に関しては、所謂“アート”を直接的に扱わずに、しかしながら「ビック盆!」「世間遺産」も目指しているであろうコミュニカティブなプロセスを重視するその特性を十二分に孕んだタミヤさんの取り組みが、どのように受容され(もしくは受容されず)、また、どのような問題提起をしてくださるのか、そこが企画の狙いでありました。この狙いはある意味ではタミヤさんが壇上にあがっているというその事実で成立するものでもありましたが、しかしシンポジウムという形式が個々の具体的な事例を抽象化して進行してゆくものとなっているが故に、その言葉のやり取りの上では、彼女の存在がややすんなりと受容されすぎた感じもいたしました。
これらのことを総括し、今回のシンポジウムでは、生活の中に埋め込まれたアートの受容性とアートが持つオルタナティブな批評性との共存について改めて考えさせられるきっかけとなったのではないでしょうか?
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by yamatogawarecord
| 2008-09-24 01:48