2012年 11月 28日
『“中古”から“Re-livable”へ 文脈重視の創造的転用 —住み開きをきっかけに—』 |
少し更新が空いてしまいましたね。なかなかバタバタとしておりますが…。今日は夏に書いた原稿なのですが、「住み開き」をちょっと違った角度から扱った原稿を。「中古住宅の創造的再生」ってお題で僕にお話がきたのも大変ユニークなことで(豪華な執筆陣です)。編集委員の九州大学の柴田健さんから縁をいただき、その繋がりもあって、今年度後期の九州大学工学部の非常勤講師としてにも就任させていただくきっかけにもなった原稿です。「住み開き」の本を読んでらっしゃる方は、前半は読んだことのあるような話なので退屈されると思いますが、後半にしたがって少しいろいろ書き連ねてますので、どうぞご関心ある方はぜひ。
(以下社団法人日本住宅協会発刊『住宅』 2012年7月号より転載(※関連写真と注釈は掲載省略】)
『“中古”から“Re-livable”へ 文脈重視の創造的転用 —住み開きをきっかけに—』
アサダワタル(日常編集家)
こんにちは。日常編集家のアサダワタルです。日常生活にあまた溢れてはいるが、普段はなかなか気づかない様々な創造的種子(要はネタ)を発見し、それを音楽や文章やプロジェクトという形で、表現文化という樹木へと育てる。そんなことを生業にしております。読者の皆様にとっては初めて耳にするような仕事だと思いますが、本稿を読み進めていただくうちに、僕の考え方を少しでもお伝えできればと思いますのでどうぞお付き合いください。
さて、「中古住宅の創造的転用」というテーマで、原稿依頼をいただいたわけですが、よくよく考えてみれば僕自身は住宅に対して「新築/中古」という区分をそもそも意識してこなかったことに気づかされました。「なんでだろう?」と考えたのですが、おそらく新築の家に対する憧れや、もっと言えば「家を所有する」ということそのものに対する執着がそもそも自分には欠けていたという結論に…。しかし、「住宅の創造的転用」というテーマについては、確かに実践と思考を重ねてきたように思えます。そして、このここにくっつく「中古」という言葉に関して言えば、広く「再 -Re-」という翻訳をかけて解釈することを無意識のうちに行い、これまでマンションの一室におけるサロン運営への転用実践や、長屋、元店舗付住宅などにおける住人のプライベートな生活を超えたユニークなコミュニティ生成への提案や普及を展開してきました。本稿では、まず僕が提唱してきた「住み開き」(すみびらき)というプロジェクトの概要をお伝えするとともに、中古住宅に対する視点のレイヤーをより重層的にすべく、いくつかのコミュニティプロジェクトの事例を交えつつ書かせていただきます。
―まず「住み開き」とは何かー
「住み開き(すみびらき)とは、自宅を代表とするプライベートな空間の一部を、人が集えるパブリックな空間へと無理なく、かつ創造的に開放すること、を指します。2008年10月に、僕がとある団体の助成金申請のための書類に思いつきと直感で書き込み、その翌年の夏にチラシやWeb上でこの言葉を公開し、当時僕が住んでいた大阪市域の各実践を訪ね歩くプロジェクトを展開したことをきっかけに、広がりだしたコンセプトでした。この概念を提唱した背景として、日常生活から生まれる個人の表現、そして現代社会におけるコミュニティのあり方、この2つに対する自分なりの考えを伝えたいという思いを語ります。
僕たちは都市に生きながら、様々な空間に対して無意識に役割を与えています。ここは買物をするところ、ご飯を食べるところ、仕事をするところ、恋人とデートをするところ、友人と遊ぶところ、一人で休むところ……といったように。この役割に対応する空間として、例えばショッピングモール、レストラン、オフィス、公園、カラオケボックス、自宅などがあてられますよね。ここではその空間における自分の役割も無意識の下につくられ、ある時はサービスを受けるお客になり、またある時はサービスを提供する従業員になったり。例えば、お金を払って飲食しているレストランでは自分で洗い物をしたりはしないでしょうし、逆に従業員であればお客に皿洗いを要求することはできないでしょう。この場合、お金さえ交換されていれば、お互いが各々の役割を果たすだけで、形式的にはコミュニケーションが成立してしまうのです。公共施設であっても税金が投入されている以上、市民サービスという名で利用者側と施設側とのコミュニケーションの在り方は大体にして固定的と言えるのではないでしょうか。でも世の中、お金だけが、空間/人間の役割の根拠になっているわけではないはず。無縁社会が叫ばれるこんな時代だからこそ、お金に還元されない役割として、小さいながら意義のある活動を社会に投げかけ、他者と他者を繋ぎなおしている人たちもたくさん存在しているのです。そういった人たちが語り合う場は、もてなす側/もてなされる側といった関係性を超えた、フラットなコミュニケーションが発生し、そしてその多くは、個々人の「家・住宅」を舞台に繰り広げられていることに気付きました。そう、これが僕の考える「住み開き」という発想です。例えば友人たちと気軽に語らい合うホームパーティーのようなよくあるものから、造園プランナーによる自宅屋上農園カフェ、近所の子どもが集う絵本図書館や洞窟博物館、部屋がそのままギャラリー、和室二畳分を活用した大学、元カラオケボックスを活用した、クリエイターによるアトリエ兼シェアハウスなど。実は僕自身も、住居マンションの一室を数人でシェアし、異業種交流サロンとして運営していたこともあり、そのことがこの「住み開き」という思考に辿り着く大きなきっかけでした。開く理由は十人十色ですが、共通している点は、無理せず自分のできる範囲で自分の好きなことをきっかけにちょっとだけ開いていることですね。また同時に昭和初期の地域コミュニティにあるような開きっぱなしというのとも違い、彼ら彼女たちの「私」を軸とした「自己表現」として成立しているように思えます。しかしただのエゴではなく、その延長線上にはしっかりと様々な人たちが集えるコミュニティが発生しているんですね。それは、金の縁ではなく、血縁も地縁も会社の縁をも超えたゆるやかな「第三の縁」を育むコミュニティなのです。
―実践者たちの多様性 中古住宅を使い直す事例から―
これまで僕が紹介してきた「住み開き」の事例の多くは、新築ではなく中古住宅において実践されてきました。あるいは、ある程度年配の方(50代後半〜70代)の実践は、住み始めた30〜40年前はもちろん新築だったのですが、現在は当然年季が入ってきているわけで、その状況を踏まえての「住み直し」がなされています。ここでは僕がこれまで活動してきた大阪の事例を中心に紹介しましょう。
●Rojiroom(★1)
大阪市中央区、空堀商店街の脇路地奥にある築80年以上の古民家を再生した自宅兼アトリエ兼ショールーム兼ショップ。ランドスケープデザイナーの松下岳生さん、服飾デザイナーの純子さん、30代後半のご夫妻とお子さんによって住まわれ、運営されている。職業柄様々な地域づくりに関わることの多い岳生さんと、着物の手仕事を紹介するショールームを作りたいと考えていた純子さんは、結婚を機に、地域に開かれた生活を少しずつ意識するように。友人に紹介された不動産屋でこの物件を発見し、自分たちで改修までも手がけたいという思いから思い切って購入。人が住める状態ではなかった古く痛んだ民家を、住みながらちょっとずつリノベーション。2005年5月より週2〜3回のペースでオープンにしていき、徐々に自分たちの生活や仕事を地域に開放している。
●物々交換デザイン シカトキノコ(★2)
大阪市東成区の鶴橋周辺の下町にある中古住宅を30代前半のご夫婦が購入。アートディレクターの夫 藤田ツキトさんのアイデアで1階ガレージ部分をデザイン事務所兼サロンスペースとして改修。二階は家族と猫2匹がくつろぐリビングとキッチン、三階は寝室といった間取り。定期的にパーティーを開いたり、オープンオフィスの日を設けることで、クリエイター同士、ご近所同士の交流を深めている。ツキトさん曰く、「ここは、カフェやギャラリーほど開きすぎず、まずはオープンオフィスとして実践しています。そしてデザインの報酬は基本的に金銭で得てますけど、相手によっては物々交換でもいいかなと。自分のスキルを通して、お金だけではない関係づくりをしていきたいです」。最近では地元の鶴橋鮮魚卸売市場さんと交流を深め、そこで開催されている「ひる市」のポスターデザインを請け負ったり、そこで買った新鮮な魚を買ってホームイベントをするなど、単なるSOHOを超えた繋がりのデザインを実践している。
●905カフェ(★3)
大阪市淀川区の新大阪駅付近のマンションの9階905号室。ここは音楽家の夫 新井洋平さんと学童保育指導員の妻 直子さん、30代前半のご夫婦と猫2匹が暮らす住居であり、カフェイベントスペース「905 Cafe」として開放。一見ごく普通のマンションの一室でしかも建物自体は決して新しいものではない。しかし部屋に入った瞬間に目に飛び込むのは、白い壁に掛けられたたくさんの絵画と、開放的な間取り。
2007年に現在の住居を購入した際に、夫婦で「人が集まる家にしたいよね」と漠然と話していたという。「イベントをしようとまでは思ってなかったけど、とりあえずリフォームした方がいいと思い、壁を抜いて12畳のリビングを作りました」と洋平さん。そして友人のアーティストから「この空間に作品を持ち寄って何かしましょうよ」という提案を受け、2009年8月に作品展示とライブペインティング、音楽ライブと詩の朗読などを盛り込んだイベントを開催。ちょうど筆者が「住み開き」という言葉を提唱しはじめた時期と重なり、真っ先に「住み開きカフェ」というフレーズも活用してくれた。
●navel cafe(★4)
大阪市淀川区の三津屋商店街アーケードから脇道を入り長屋が密集するエリアへ。「navel cafe」という小さい看板が置かれたその場所は、建築を専攻した20代青年の生活と仕事の実験場だ。住人である伊藤広志さんは住居兼カフェ兼建築事務所としての物件を探す中、たまたまインターネットで、築70年・元お好み焼き屋というこの物件を発掘。少し傷んでいるいることもあり、大家さんとしても借り手が見つからなかったので、敷礼なし・改修可能という好条件を借りることに。2010年10月に借りて、1ヶ月かけてほぼ一人でリノベーション。住居とはいえ、カフェと銘打つからには堂々とおもてなしをしたいと感じ、喫茶店営業許可も取得。そして「人」「本」「食べ物」「スポーツ」「旅」の5つのテーマを設け、この興味に関わる人たちの出会いの場を「建築」というスキルでサポートするといった大きなコンセプトが誕生した。1年半の実験を経て、現在は兵庫県神戸市東灘区岡本にて新しい実験を考案中とのことだ。
●小島商店
大阪市淀川区、地下鉄西中島南方駅近くにある「小島商店」はまちの酒屋でありたばこ屋さん。店内で酒やパン菓子を、入り口小窓ではたばこを販売している。そして上階は住居という典型的な店舗住宅。ここを40年間切り盛りしてきた小島和江さんに、ある変化が訪れたのは2010年。販売商品を減らし、店舗の一部を地域交流サロンとして開放するというアクションを起こし始めた。たまたま新聞に掲載された「住み開き」の記事を見たことがきっかけで、「私がやりたいことはこれだ!」と思い、知り合いの建築家に相談したところ、なんとたまたまその建築家がアサダの知人であったことが発覚。そしてアサダと繋がり、開くためのお手伝いをさせていただくことになった。「ずっとここでお商売を続けてきたんですが、歳をとったし、売り上げも落ちて来たのでそろそろ辞めようかなって。でも人と接するのは大好きなのでそれは辞めたくない。だからお世話になってるみんなさんにまた違った形でお役に立てればと思ったんです」と小島さん。もうひとつの理由としてお子さんが自立したことをあげていた。以後、思索を巡らすこと1年。ようやく2011年3月に「小島商店」の生まれ変わりイベントを開催し、以後、継続的に活動を続けている。
―DJ感覚で中古住宅を再発掘する―
上述した事例の共通点は、「いまここにある家の本来の用途を再編集する」という点です。これは、「一から新築を建ててそこを集いの場にする」という考え方とは、根本的に違います。「アリもの」を使い直すという発想そのものが創造性の起点になっており、前住人ではなし得なかった(そもそもサロン化するなんてことを考えることもなかった、というのが多数派で正確なニュアンスでしょうか)アイデアを埋め込んだ住み直しを実践されています。僕はこの状況が伝播していくことで、「家を買うならやはり新築。借りるにもできれば新しい家で」という多数派の常識が、少しずつ解体されていくのではないかと考えています。
かつて、この状況に近いムーブメントが音楽シーンに存在しました。読者の方々には馴染みのない例となるかもしれませんが、少々お付き合いを。それは「レア・グルーヴ」と呼ばれるもので、ロンドンで始まった「70年代の音楽をダンス・ミュージックとして再評価する」という動きのことを指します。1960年代から1970年代を通じて、アメリカではソウル、R&B、ファンク、ディスコなどのいわゆるブラックミュージックがたくさん生まれました。ジェイムス・ブラウン((『ゲロンパ!』でお馴染みのあのおじさん)のようなメジャー級なアーティストから、もう少しマニアックなインディーズアーティストまで、様々なレコードがリリースされたのですが、その多くが全世界で完全なる流通を果たすことなく、いずれ忘れ去られる存在となってしまいます。そして時が経ち、1980年代のイギリスやアメリカのクラブDJ、ヒップホップのアーティストたちが、自分たちの同時代のレコードのプレイだけでは飽き足らなくなり、新たな「ネタ」を求め過去の音楽の探求と発掘を始めたのです。彼らはアーティストや曲の有名無名を問わず、それぞれのテーマや価値観で横断的にレコードの発掘に接し、そして彼らは、クラブにおける「ダンスミュージック」という文脈の上で、これらの音源を巧みに選曲していきます。この過去の資源を創造的に再評価するというムーヴメントが各地で派生し、多くのレコードが新たな文脈で息を吹き返すということが起こったのです。(例えば和製レア・グルーヴとしては、和田アキ子の歌手としての再評価、左とん平の「ヘイ・ユウ・ブルース」の“イケテル”音源として再発掘など)
僕は、この音楽シーンから発生した「レア・グルーヴ」には、現在の中古住宅の創造的転用を進める上での多くの示唆が存在していると思っています。また、街にあまた溢れている、値段は安いが売れ残っている中古住宅を、まったく違う文脈に置いて創造的に再評価する動きは現実的にも起きています。有名な取り組みとしては、リノベーション・改装可能でユニークな賃貸不動産を紹介するWebサイト「東京R不動産」(★5)などが挙げられます。「東京R不動産は、新しい視点で不動産を発見していくサイト。本当は東京には魅力的な物件が山ほど眠っています。」と書かれたコピーはまさに、これまではただ単に「古い」「ボロい」とマイナス面だけが殊更に強調されてきた中古住宅のその「古さ」に対して、まったく新しい文脈を伴った再編集が行われているのです。少し最近の物件コピーを紹介するだけでも「古き日本家屋シェア生活」といった比較的わかりやすいものから、「その眺め、多摩川を越えて」、「子どもの頃に見たような」といった詩的なものから、「上野公園フォー!!」(“フォー”っていうのは一昔前に流行ったレイザーラモンHGさんのあれですね)といった謎のコピーまで。中古住宅に文化的文脈を付け加えたその行為は「レア・グルーヴ」的であり、またこのプロジェクトが所謂、不動産業者からではく、建築家というクリエイターの発想から生まれたという点もとても意義深いことだと思います。このような動きが浸透してくることによって中古住宅は、「Re-livableな住宅」(住み直すことができる住宅)という文脈へと読み替えられていくのではないでしょうか。そして「住み開き」もそのような「Re-livable」な文脈を強化するための動きとして有効だと思われます。そして大事なのは、家を開く住民だけでなく、そこに訪れる様々な人たちが目撃し、「ええ!?この家ってこんな風にお洒落にパーティーできるんだ!」とか「この古さが“味”となって、お年寄りも子どももほっこり集まれるね」などという状況を肌で感じとってもらうこと。次章ではその状況が街単位で行われている事例を紹介します。
—“Re-livable”という文脈を街単位で捉える—
僕がこれまでに関わったプロジェクトで、この「Re-livable」な文脈を街単位で生み出している取り組みのひとつに、からほり(空堀)があります。大阪市中央区谷町の空堀商店街周辺は都心にも関わらず、第二次世界大戦での戦災にも遭わなかったことで戦前からの長屋の町並みが数多く残っています。そのため都心職住接近と古い風情あるスローな町並みといった、新旧のライフスタイルが織り混ざったユニークな街を目指して、とりわけ2000年代以降に多くの若者たちが移転してくるようになりました。界隈には、古い屋敷や長屋をリノベーションしたカフェやギャラリー、雑貨屋などがたくさん見られ、その並びにお洒落に改装された若い夫婦の長屋住宅などが見られます。そして僕が取材した様々な街の中でも、とりわけ「住み開き」度合いが高い街だったため、この街単独で「からほり住み開きリミックス」という企画が展開できたほどでした。(先ほど紹介した「Rojiroom」はまさにそのシンボル的存在です)例えば、この街で活動する友人の梅山晃佑さんは、長屋の路地を探索しながら作品を鑑賞する街中展覧会「からほりまちアート」(2010年に開催された第10回を持って終了)(★6)の副実行委員長として活躍し、その延長線上で発掘した長屋物件に引っ越しし、玄関横の二畳間を舞台に「2畳大学」(★7)という学びの場づくりまで展開されています。こういった動きの背景として重要なのは、実際に若い人たちが「長屋をリノベして住みたい!」といった時に相談できるシステムが準備されていること。「からほり倶楽部」(★8)というNPOが手がけている「空堀商店街界隈長屋再生プロジェクト」をはじめとし、僕がプロデューサーを務めた、上町台地の都心居住文化の魅力を伝えるツアープロジェクト「オープン台地 」(※アサダがプロデュースしたのはVol.1のみ)(★9)における梅山氏の企画「上町台地シェアハウス探索ツアー」などがまさにその好例です。こういった事例では、長屋物件説明会やまちあるきワークショップなどを通じて長屋を発掘調査し、そして試験的に長屋を再生した複合型ショップを作り、同時に「からほりまちアート」を企画するといったように、設計施工改修といったハード面と、街に対する視点の再編集を促すソフト面の両方を兼ね備えた活動が展開されています。
街の雰囲気や文脈づけの背景は違いますが、「Re-livable」な文脈が存在する街として、北加賀屋も挙げておきます。大阪市の南西部に位置し、大阪湾と木津川に接する住之江区にある街 北加賀屋は、第二次世界大戦後、造船業を中心とした工業で復興し、日本の近代化を支えた「名村造船所跡地」がある街としても知られています。しかし、重厚長大産業の集積地として栄えた街はどこも同じ様に、現在は工場の閉鎖や、付近の商店街や住宅街には高齢者しか残っていないといった問題を抱えているわけです。そこで、この街の多くの土地を有する千島土地株式会社の呼びかけのもと、2004年から名村造船所跡地を活用した「NAMURA ART MEETING‘04-‘34」(★10)というプロジェクトが立ち上がり、そして2009年には「北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想」(★11)として、音楽、演劇、ダンス、美術など、あらゆるジャンルのアーティストや、デザイナーや建築家など、ものづくりに関わるクリエイターのような創造的な活動を行う人々が北加賀屋に集うような取り組みを街単位で進めていくこととなりました。現在、実際に多くのアーティスト、クリエイターたちがこの街に移転し、長い間使われなかった格安の中古住宅を仲間たちと改装し、また自ら改装する技術を持たない人はそのネットワークに助けてもらうことによって、多くの物件が創造的に転用されています。使われ方は住居からアトリエから劇場からギャラリーまで様々。さらに、このような北加賀屋での芸術によるコミュニティ活動を推進するべく、「一般財団法人おおさか創造千島財団」(★12)が立ち上がり、情報発信や金銭面における様々な支援も開始しました。(僕も同財団が発行する情報誌『 paper C』にて取材していただきました)
行政による事例も紹介しましょう。ちょうどこの原稿の執筆同時期に書き上げたエッセイがあります。それは世田谷区の外郭団体である、「財団法人世田谷トラストまちづくり財団」(★13)が発行する地域情報紙に提供したものでした。この団体が展開するプロジェクトのひとつに、「地域共生のいえ」というものがあります。世田谷区内の家屋のオーナーによる自己所有の建物の一部あるいは全部の活用支援を通じて、地域共生のまちづくりを推進し、地域の絆を育んでいくことを目的とした取り組みです。地域につどいの場を作ろうと考えるオーナーの 「住み開き」をサポートするような仕組みですが、まさに行政サイドからの「Re-livable」な文脈の実践システムであり、こういった動きは兵庫県西宮市の住宅政策課が推進する「つどいの場オーナー登録制度」などにも見られます。
からほり、北加賀屋、世田谷区、西宮、これらの街の一軒一軒の具体例までは、紙面の都合上書き尽くすことができないため割愛しますが、この動きから読み取れることは、「Re-livable」という文脈が街単位で発生し、またその文脈づけを推進するシステムが、個々人の自律的な営みと寄り添うように存在していること。システムに求められていることは、改修におけるスキルの提供(これはシステムを直接運営する団体になかったとしても、そこに集まるクリエイターをコーディネートできれば良いわけです)、状況次第では金銭面の支援(改修可能な物件をできるだけ安く貸すこと自体がまさに金銭支援ですね)、そして文脈づけを行うための情報発信を担うメディアを持つこと。そしてシステム構築を担う主体の属性(NPOや企業や行政など)が多様であればあるほど、個人がこの文脈に辿り着く道筋がそれだけ多様に存在するということに繋がりますので、その点も非常に重要でしょう。(例えば、北加賀屋から発信する情報はクリエイター系の人に届きやすいですし、一方、世田谷の事例では主婦層やシニア世代の比較的裕福な高齢層がその情報を受け取っているといった様に)ともあれ、こういったシステムが街にあることによって、「Re-livable」な文脈が一層、価値化・可視化され、多くの人に中古住宅の新たな可能性を気づかせる動きとなるのではないでしょうか。
—“Re-livable”は「私」と「公」を繋ぐ文脈でもあるー
これまで、中古住宅を創造的に転用していく「Re-livable」という文脈がどのように作られていくかを事例を通じて書いてきました。最後に、あくまで「個人」であったり「私」の想いをないがしろにしないということを大前提に捉えていただきたい。NPOなり、企業なり行政なりが、こういった「Re-livable」な文脈の実践システムを進める上で、大切なのは「住人自身の想いや希望」を最大限に尊重することです。「Re-livable」な文脈がひとつの権力になって、個人の想いが(そんな意図はなくとも結果的に)搾取されるようであれば、結局その文脈づけは深く根付かない、何よりも継続するのが難しくなるでしょう。(実は僕自身が「住み開き」という文脈を提唱したことにより、多様な価値観の一律回収という動きに、望まなくとも一役買ってしまうという課題を抱えているので、身をもって感じるのです)こういったシステムをつくることの重要性は、住人の「私」の想いを、 「自分ごと」から「社会ごと」へと向かわせ、なおかつそこに継続性をもたらせ ることにあり、それが実現される時、この文脈づけは単に新しいだけでなく意義深いライフスタイル、ひいては創造的市民知の構築にまで発展することでしょう。
参考文献:
「DJ選曲術―何を考えながらDJは曲を選び、そしてつないでいるのか?」(沖野修也 著、リットーミュージック、2005年)
(以下社団法人日本住宅協会発刊『住宅』 2012年7月号より転載(※関連写真と注釈は掲載省略】)
『“中古”から“Re-livable”へ 文脈重視の創造的転用 —住み開きをきっかけに—』
アサダワタル(日常編集家)
こんにちは。日常編集家のアサダワタルです。日常生活にあまた溢れてはいるが、普段はなかなか気づかない様々な創造的種子(要はネタ)を発見し、それを音楽や文章やプロジェクトという形で、表現文化という樹木へと育てる。そんなことを生業にしております。読者の皆様にとっては初めて耳にするような仕事だと思いますが、本稿を読み進めていただくうちに、僕の考え方を少しでもお伝えできればと思いますのでどうぞお付き合いください。
さて、「中古住宅の創造的転用」というテーマで、原稿依頼をいただいたわけですが、よくよく考えてみれば僕自身は住宅に対して「新築/中古」という区分をそもそも意識してこなかったことに気づかされました。「なんでだろう?」と考えたのですが、おそらく新築の家に対する憧れや、もっと言えば「家を所有する」ということそのものに対する執着がそもそも自分には欠けていたという結論に…。しかし、「住宅の創造的転用」というテーマについては、確かに実践と思考を重ねてきたように思えます。そして、このここにくっつく「中古」という言葉に関して言えば、広く「再 -Re-」という翻訳をかけて解釈することを無意識のうちに行い、これまでマンションの一室におけるサロン運営への転用実践や、長屋、元店舗付住宅などにおける住人のプライベートな生活を超えたユニークなコミュニティ生成への提案や普及を展開してきました。本稿では、まず僕が提唱してきた「住み開き」(すみびらき)というプロジェクトの概要をお伝えするとともに、中古住宅に対する視点のレイヤーをより重層的にすべく、いくつかのコミュニティプロジェクトの事例を交えつつ書かせていただきます。
―まず「住み開き」とは何かー
「住み開き(すみびらき)とは、自宅を代表とするプライベートな空間の一部を、人が集えるパブリックな空間へと無理なく、かつ創造的に開放すること、を指します。2008年10月に、僕がとある団体の助成金申請のための書類に思いつきと直感で書き込み、その翌年の夏にチラシやWeb上でこの言葉を公開し、当時僕が住んでいた大阪市域の各実践を訪ね歩くプロジェクトを展開したことをきっかけに、広がりだしたコンセプトでした。この概念を提唱した背景として、日常生活から生まれる個人の表現、そして現代社会におけるコミュニティのあり方、この2つに対する自分なりの考えを伝えたいという思いを語ります。
僕たちは都市に生きながら、様々な空間に対して無意識に役割を与えています。ここは買物をするところ、ご飯を食べるところ、仕事をするところ、恋人とデートをするところ、友人と遊ぶところ、一人で休むところ……といったように。この役割に対応する空間として、例えばショッピングモール、レストラン、オフィス、公園、カラオケボックス、自宅などがあてられますよね。ここではその空間における自分の役割も無意識の下につくられ、ある時はサービスを受けるお客になり、またある時はサービスを提供する従業員になったり。例えば、お金を払って飲食しているレストランでは自分で洗い物をしたりはしないでしょうし、逆に従業員であればお客に皿洗いを要求することはできないでしょう。この場合、お金さえ交換されていれば、お互いが各々の役割を果たすだけで、形式的にはコミュニケーションが成立してしまうのです。公共施設であっても税金が投入されている以上、市民サービスという名で利用者側と施設側とのコミュニケーションの在り方は大体にして固定的と言えるのではないでしょうか。でも世の中、お金だけが、空間/人間の役割の根拠になっているわけではないはず。無縁社会が叫ばれるこんな時代だからこそ、お金に還元されない役割として、小さいながら意義のある活動を社会に投げかけ、他者と他者を繋ぎなおしている人たちもたくさん存在しているのです。そういった人たちが語り合う場は、もてなす側/もてなされる側といった関係性を超えた、フラットなコミュニケーションが発生し、そしてその多くは、個々人の「家・住宅」を舞台に繰り広げられていることに気付きました。そう、これが僕の考える「住み開き」という発想です。例えば友人たちと気軽に語らい合うホームパーティーのようなよくあるものから、造園プランナーによる自宅屋上農園カフェ、近所の子どもが集う絵本図書館や洞窟博物館、部屋がそのままギャラリー、和室二畳分を活用した大学、元カラオケボックスを活用した、クリエイターによるアトリエ兼シェアハウスなど。実は僕自身も、住居マンションの一室を数人でシェアし、異業種交流サロンとして運営していたこともあり、そのことがこの「住み開き」という思考に辿り着く大きなきっかけでした。開く理由は十人十色ですが、共通している点は、無理せず自分のできる範囲で自分の好きなことをきっかけにちょっとだけ開いていることですね。また同時に昭和初期の地域コミュニティにあるような開きっぱなしというのとも違い、彼ら彼女たちの「私」を軸とした「自己表現」として成立しているように思えます。しかしただのエゴではなく、その延長線上にはしっかりと様々な人たちが集えるコミュニティが発生しているんですね。それは、金の縁ではなく、血縁も地縁も会社の縁をも超えたゆるやかな「第三の縁」を育むコミュニティなのです。
―実践者たちの多様性 中古住宅を使い直す事例から―
これまで僕が紹介してきた「住み開き」の事例の多くは、新築ではなく中古住宅において実践されてきました。あるいは、ある程度年配の方(50代後半〜70代)の実践は、住み始めた30〜40年前はもちろん新築だったのですが、現在は当然年季が入ってきているわけで、その状況を踏まえての「住み直し」がなされています。ここでは僕がこれまで活動してきた大阪の事例を中心に紹介しましょう。
●Rojiroom(★1)
大阪市中央区、空堀商店街の脇路地奥にある築80年以上の古民家を再生した自宅兼アトリエ兼ショールーム兼ショップ。ランドスケープデザイナーの松下岳生さん、服飾デザイナーの純子さん、30代後半のご夫妻とお子さんによって住まわれ、運営されている。職業柄様々な地域づくりに関わることの多い岳生さんと、着物の手仕事を紹介するショールームを作りたいと考えていた純子さんは、結婚を機に、地域に開かれた生活を少しずつ意識するように。友人に紹介された不動産屋でこの物件を発見し、自分たちで改修までも手がけたいという思いから思い切って購入。人が住める状態ではなかった古く痛んだ民家を、住みながらちょっとずつリノベーション。2005年5月より週2〜3回のペースでオープンにしていき、徐々に自分たちの生活や仕事を地域に開放している。
●物々交換デザイン シカトキノコ(★2)
大阪市東成区の鶴橋周辺の下町にある中古住宅を30代前半のご夫婦が購入。アートディレクターの夫 藤田ツキトさんのアイデアで1階ガレージ部分をデザイン事務所兼サロンスペースとして改修。二階は家族と猫2匹がくつろぐリビングとキッチン、三階は寝室といった間取り。定期的にパーティーを開いたり、オープンオフィスの日を設けることで、クリエイター同士、ご近所同士の交流を深めている。ツキトさん曰く、「ここは、カフェやギャラリーほど開きすぎず、まずはオープンオフィスとして実践しています。そしてデザインの報酬は基本的に金銭で得てますけど、相手によっては物々交換でもいいかなと。自分のスキルを通して、お金だけではない関係づくりをしていきたいです」。最近では地元の鶴橋鮮魚卸売市場さんと交流を深め、そこで開催されている「ひる市」のポスターデザインを請け負ったり、そこで買った新鮮な魚を買ってホームイベントをするなど、単なるSOHOを超えた繋がりのデザインを実践している。
●905カフェ(★3)
大阪市淀川区の新大阪駅付近のマンションの9階905号室。ここは音楽家の夫 新井洋平さんと学童保育指導員の妻 直子さん、30代前半のご夫婦と猫2匹が暮らす住居であり、カフェイベントスペース「905 Cafe」として開放。一見ごく普通のマンションの一室でしかも建物自体は決して新しいものではない。しかし部屋に入った瞬間に目に飛び込むのは、白い壁に掛けられたたくさんの絵画と、開放的な間取り。
2007年に現在の住居を購入した際に、夫婦で「人が集まる家にしたいよね」と漠然と話していたという。「イベントをしようとまでは思ってなかったけど、とりあえずリフォームした方がいいと思い、壁を抜いて12畳のリビングを作りました」と洋平さん。そして友人のアーティストから「この空間に作品を持ち寄って何かしましょうよ」という提案を受け、2009年8月に作品展示とライブペインティング、音楽ライブと詩の朗読などを盛り込んだイベントを開催。ちょうど筆者が「住み開き」という言葉を提唱しはじめた時期と重なり、真っ先に「住み開きカフェ」というフレーズも活用してくれた。
●navel cafe(★4)
大阪市淀川区の三津屋商店街アーケードから脇道を入り長屋が密集するエリアへ。「navel cafe」という小さい看板が置かれたその場所は、建築を専攻した20代青年の生活と仕事の実験場だ。住人である伊藤広志さんは住居兼カフェ兼建築事務所としての物件を探す中、たまたまインターネットで、築70年・元お好み焼き屋というこの物件を発掘。少し傷んでいるいることもあり、大家さんとしても借り手が見つからなかったので、敷礼なし・改修可能という好条件を借りることに。2010年10月に借りて、1ヶ月かけてほぼ一人でリノベーション。住居とはいえ、カフェと銘打つからには堂々とおもてなしをしたいと感じ、喫茶店営業許可も取得。そして「人」「本」「食べ物」「スポーツ」「旅」の5つのテーマを設け、この興味に関わる人たちの出会いの場を「建築」というスキルでサポートするといった大きなコンセプトが誕生した。1年半の実験を経て、現在は兵庫県神戸市東灘区岡本にて新しい実験を考案中とのことだ。
●小島商店
大阪市淀川区、地下鉄西中島南方駅近くにある「小島商店」はまちの酒屋でありたばこ屋さん。店内で酒やパン菓子を、入り口小窓ではたばこを販売している。そして上階は住居という典型的な店舗住宅。ここを40年間切り盛りしてきた小島和江さんに、ある変化が訪れたのは2010年。販売商品を減らし、店舗の一部を地域交流サロンとして開放するというアクションを起こし始めた。たまたま新聞に掲載された「住み開き」の記事を見たことがきっかけで、「私がやりたいことはこれだ!」と思い、知り合いの建築家に相談したところ、なんとたまたまその建築家がアサダの知人であったことが発覚。そしてアサダと繋がり、開くためのお手伝いをさせていただくことになった。「ずっとここでお商売を続けてきたんですが、歳をとったし、売り上げも落ちて来たのでそろそろ辞めようかなって。でも人と接するのは大好きなのでそれは辞めたくない。だからお世話になってるみんなさんにまた違った形でお役に立てればと思ったんです」と小島さん。もうひとつの理由としてお子さんが自立したことをあげていた。以後、思索を巡らすこと1年。ようやく2011年3月に「小島商店」の生まれ変わりイベントを開催し、以後、継続的に活動を続けている。
―DJ感覚で中古住宅を再発掘する―
上述した事例の共通点は、「いまここにある家の本来の用途を再編集する」という点です。これは、「一から新築を建ててそこを集いの場にする」という考え方とは、根本的に違います。「アリもの」を使い直すという発想そのものが創造性の起点になっており、前住人ではなし得なかった(そもそもサロン化するなんてことを考えることもなかった、というのが多数派で正確なニュアンスでしょうか)アイデアを埋め込んだ住み直しを実践されています。僕はこの状況が伝播していくことで、「家を買うならやはり新築。借りるにもできれば新しい家で」という多数派の常識が、少しずつ解体されていくのではないかと考えています。
かつて、この状況に近いムーブメントが音楽シーンに存在しました。読者の方々には馴染みのない例となるかもしれませんが、少々お付き合いを。それは「レア・グルーヴ」と呼ばれるもので、ロンドンで始まった「70年代の音楽をダンス・ミュージックとして再評価する」という動きのことを指します。1960年代から1970年代を通じて、アメリカではソウル、R&B、ファンク、ディスコなどのいわゆるブラックミュージックがたくさん生まれました。ジェイムス・ブラウン((『ゲロンパ!』でお馴染みのあのおじさん)のようなメジャー級なアーティストから、もう少しマニアックなインディーズアーティストまで、様々なレコードがリリースされたのですが、その多くが全世界で完全なる流通を果たすことなく、いずれ忘れ去られる存在となってしまいます。そして時が経ち、1980年代のイギリスやアメリカのクラブDJ、ヒップホップのアーティストたちが、自分たちの同時代のレコードのプレイだけでは飽き足らなくなり、新たな「ネタ」を求め過去の音楽の探求と発掘を始めたのです。彼らはアーティストや曲の有名無名を問わず、それぞれのテーマや価値観で横断的にレコードの発掘に接し、そして彼らは、クラブにおける「ダンスミュージック」という文脈の上で、これらの音源を巧みに選曲していきます。この過去の資源を創造的に再評価するというムーヴメントが各地で派生し、多くのレコードが新たな文脈で息を吹き返すということが起こったのです。(例えば和製レア・グルーヴとしては、和田アキ子の歌手としての再評価、左とん平の「ヘイ・ユウ・ブルース」の“イケテル”音源として再発掘など)
僕は、この音楽シーンから発生した「レア・グルーヴ」には、現在の中古住宅の創造的転用を進める上での多くの示唆が存在していると思っています。また、街にあまた溢れている、値段は安いが売れ残っている中古住宅を、まったく違う文脈に置いて創造的に再評価する動きは現実的にも起きています。有名な取り組みとしては、リノベーション・改装可能でユニークな賃貸不動産を紹介するWebサイト「東京R不動産」(★5)などが挙げられます。「東京R不動産は、新しい視点で不動産を発見していくサイト。本当は東京には魅力的な物件が山ほど眠っています。」と書かれたコピーはまさに、これまではただ単に「古い」「ボロい」とマイナス面だけが殊更に強調されてきた中古住宅のその「古さ」に対して、まったく新しい文脈を伴った再編集が行われているのです。少し最近の物件コピーを紹介するだけでも「古き日本家屋シェア生活」といった比較的わかりやすいものから、「その眺め、多摩川を越えて」、「子どもの頃に見たような」といった詩的なものから、「上野公園フォー!!」(“フォー”っていうのは一昔前に流行ったレイザーラモンHGさんのあれですね)といった謎のコピーまで。中古住宅に文化的文脈を付け加えたその行為は「レア・グルーヴ」的であり、またこのプロジェクトが所謂、不動産業者からではく、建築家というクリエイターの発想から生まれたという点もとても意義深いことだと思います。このような動きが浸透してくることによって中古住宅は、「Re-livableな住宅」(住み直すことができる住宅)という文脈へと読み替えられていくのではないでしょうか。そして「住み開き」もそのような「Re-livable」な文脈を強化するための動きとして有効だと思われます。そして大事なのは、家を開く住民だけでなく、そこに訪れる様々な人たちが目撃し、「ええ!?この家ってこんな風にお洒落にパーティーできるんだ!」とか「この古さが“味”となって、お年寄りも子どももほっこり集まれるね」などという状況を肌で感じとってもらうこと。次章ではその状況が街単位で行われている事例を紹介します。
—“Re-livable”という文脈を街単位で捉える—
僕がこれまでに関わったプロジェクトで、この「Re-livable」な文脈を街単位で生み出している取り組みのひとつに、からほり(空堀)があります。大阪市中央区谷町の空堀商店街周辺は都心にも関わらず、第二次世界大戦での戦災にも遭わなかったことで戦前からの長屋の町並みが数多く残っています。そのため都心職住接近と古い風情あるスローな町並みといった、新旧のライフスタイルが織り混ざったユニークな街を目指して、とりわけ2000年代以降に多くの若者たちが移転してくるようになりました。界隈には、古い屋敷や長屋をリノベーションしたカフェやギャラリー、雑貨屋などがたくさん見られ、その並びにお洒落に改装された若い夫婦の長屋住宅などが見られます。そして僕が取材した様々な街の中でも、とりわけ「住み開き」度合いが高い街だったため、この街単独で「からほり住み開きリミックス」という企画が展開できたほどでした。(先ほど紹介した「Rojiroom」はまさにそのシンボル的存在です)例えば、この街で活動する友人の梅山晃佑さんは、長屋の路地を探索しながら作品を鑑賞する街中展覧会「からほりまちアート」(2010年に開催された第10回を持って終了)(★6)の副実行委員長として活躍し、その延長線上で発掘した長屋物件に引っ越しし、玄関横の二畳間を舞台に「2畳大学」(★7)という学びの場づくりまで展開されています。こういった動きの背景として重要なのは、実際に若い人たちが「長屋をリノベして住みたい!」といった時に相談できるシステムが準備されていること。「からほり倶楽部」(★8)というNPOが手がけている「空堀商店街界隈長屋再生プロジェクト」をはじめとし、僕がプロデューサーを務めた、上町台地の都心居住文化の魅力を伝えるツアープロジェクト「オープン台地 」(※アサダがプロデュースしたのはVol.1のみ)(★9)における梅山氏の企画「上町台地シェアハウス探索ツアー」などがまさにその好例です。こういった事例では、長屋物件説明会やまちあるきワークショップなどを通じて長屋を発掘調査し、そして試験的に長屋を再生した複合型ショップを作り、同時に「からほりまちアート」を企画するといったように、設計施工改修といったハード面と、街に対する視点の再編集を促すソフト面の両方を兼ね備えた活動が展開されています。
街の雰囲気や文脈づけの背景は違いますが、「Re-livable」な文脈が存在する街として、北加賀屋も挙げておきます。大阪市の南西部に位置し、大阪湾と木津川に接する住之江区にある街 北加賀屋は、第二次世界大戦後、造船業を中心とした工業で復興し、日本の近代化を支えた「名村造船所跡地」がある街としても知られています。しかし、重厚長大産業の集積地として栄えた街はどこも同じ様に、現在は工場の閉鎖や、付近の商店街や住宅街には高齢者しか残っていないといった問題を抱えているわけです。そこで、この街の多くの土地を有する千島土地株式会社の呼びかけのもと、2004年から名村造船所跡地を活用した「NAMURA ART MEETING‘04-‘34」(★10)というプロジェクトが立ち上がり、そして2009年には「北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想」(★11)として、音楽、演劇、ダンス、美術など、あらゆるジャンルのアーティストや、デザイナーや建築家など、ものづくりに関わるクリエイターのような創造的な活動を行う人々が北加賀屋に集うような取り組みを街単位で進めていくこととなりました。現在、実際に多くのアーティスト、クリエイターたちがこの街に移転し、長い間使われなかった格安の中古住宅を仲間たちと改装し、また自ら改装する技術を持たない人はそのネットワークに助けてもらうことによって、多くの物件が創造的に転用されています。使われ方は住居からアトリエから劇場からギャラリーまで様々。さらに、このような北加賀屋での芸術によるコミュニティ活動を推進するべく、「一般財団法人おおさか創造千島財団」(★12)が立ち上がり、情報発信や金銭面における様々な支援も開始しました。(僕も同財団が発行する情報誌『 paper C』にて取材していただきました)
行政による事例も紹介しましょう。ちょうどこの原稿の執筆同時期に書き上げたエッセイがあります。それは世田谷区の外郭団体である、「財団法人世田谷トラストまちづくり財団」(★13)が発行する地域情報紙に提供したものでした。この団体が展開するプロジェクトのひとつに、「地域共生のいえ」というものがあります。世田谷区内の家屋のオーナーによる自己所有の建物の一部あるいは全部の活用支援を通じて、地域共生のまちづくりを推進し、地域の絆を育んでいくことを目的とした取り組みです。地域につどいの場を作ろうと考えるオーナーの 「住み開き」をサポートするような仕組みですが、まさに行政サイドからの「Re-livable」な文脈の実践システムであり、こういった動きは兵庫県西宮市の住宅政策課が推進する「つどいの場オーナー登録制度」などにも見られます。
からほり、北加賀屋、世田谷区、西宮、これらの街の一軒一軒の具体例までは、紙面の都合上書き尽くすことができないため割愛しますが、この動きから読み取れることは、「Re-livable」という文脈が街単位で発生し、またその文脈づけを推進するシステムが、個々人の自律的な営みと寄り添うように存在していること。システムに求められていることは、改修におけるスキルの提供(これはシステムを直接運営する団体になかったとしても、そこに集まるクリエイターをコーディネートできれば良いわけです)、状況次第では金銭面の支援(改修可能な物件をできるだけ安く貸すこと自体がまさに金銭支援ですね)、そして文脈づけを行うための情報発信を担うメディアを持つこと。そしてシステム構築を担う主体の属性(NPOや企業や行政など)が多様であればあるほど、個人がこの文脈に辿り着く道筋がそれだけ多様に存在するということに繋がりますので、その点も非常に重要でしょう。(例えば、北加賀屋から発信する情報はクリエイター系の人に届きやすいですし、一方、世田谷の事例では主婦層やシニア世代の比較的裕福な高齢層がその情報を受け取っているといった様に)ともあれ、こういったシステムが街にあることによって、「Re-livable」な文脈が一層、価値化・可視化され、多くの人に中古住宅の新たな可能性を気づかせる動きとなるのではないでしょうか。
—“Re-livable”は「私」と「公」を繋ぐ文脈でもあるー
これまで、中古住宅を創造的に転用していく「Re-livable」という文脈がどのように作られていくかを事例を通じて書いてきました。最後に、あくまで「個人」であったり「私」の想いをないがしろにしないということを大前提に捉えていただきたい。NPOなり、企業なり行政なりが、こういった「Re-livable」な文脈の実践システムを進める上で、大切なのは「住人自身の想いや希望」を最大限に尊重することです。「Re-livable」な文脈がひとつの権力になって、個人の想いが(そんな意図はなくとも結果的に)搾取されるようであれば、結局その文脈づけは深く根付かない、何よりも継続するのが難しくなるでしょう。(実は僕自身が「住み開き」という文脈を提唱したことにより、多様な価値観の一律回収という動きに、望まなくとも一役買ってしまうという課題を抱えているので、身をもって感じるのです)こういったシステムをつくることの重要性は、住人の「私」の想いを、 「自分ごと」から「社会ごと」へと向かわせ、なおかつそこに継続性をもたらせ ることにあり、それが実現される時、この文脈づけは単に新しいだけでなく意義深いライフスタイル、ひいては創造的市民知の構築にまで発展することでしょう。
参考文献:
「DJ選曲術―何を考えながらDJは曲を選び、そしてつないでいるのか?」(沖野修也 著、リットーミュージック、2005年)
by yamatogawarecord
| 2012-11-28 16:25